軍都相模原の歴史を面影に見る
軍都として作られた相模原
相模原市の歴史を調べると、現在の街割を決める重要な出来事として、必ず太平洋戦争以前の軍都計画に行き当たる。
逆に言えば、それ以前にはあまり街並を大きく変えるようなイベントが無かったということだけど、とにかく相模原を軍事的に行き届いた街にしようという目標によって、桑畑の多い大平原だった相模原市に道路が通い、計画的な街割になっていった。
以前紹介した相模原の不思議な商店街西門についても、何故西門という名がついたかというと、城があったとかではなく陸軍の造兵廠(ぞうへいしょう)があったから。現在でも相模総合補給廠として在日米軍に利用されている。
この造兵廠の西門から西門商店街を経て、上溝に至るまでを縦の道、国道16号を含む直行する道を横の道として都市計画が立てられた。相模原市内で国道16号が片側2車線になっているのは、やはり軍都計画の面影なわけ。
そして相模原市役所がこの西門と国道16号の交わるところにあるというのも、ここが重要な場所だったから。往時には上溝のあたりも賑わっていたらしい。今はどちらも面影があまり無いね。